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阪大を一番の成績で卒業◆Vol.6

スペシャル企画 2016年9月6日 (火)  橋本佳子(m3.com編集長)

――子供時代からの母親の願い通り、阪大学医学部に入学したのは、1959年4月のことだ。 私は長男で、下宿は高くつくし、私学は授業料が高すぎた。だから、医学部を受験する際は阪大以外は考えなかった。 医学部の授業で覚えているのは、最初に習った解剖学。担当の小浜先生は、有名な先生で絵が上手だったけれど、怖い先生でね。しかも、日本語とドイツ語、両方で覚えさせられたから大変だった。 私が大学時代を過ごした1960年代前半は、既に大学紛争が盛んな時期で、青医連などが活動していた。私の同級生にも青医連に入っている人がいて、授業のボイコットを叫んでいたけれど、私は恥ずかしいながら、政治には全然興味がなく、マージャンばかりしていた。当時は本当に流行っていてね。マージャン名人の友人に、一生懸命に教えてもらい、大学の近くにあった、ご飯を食べればただでマージャンをやらせてくれる雀荘によく行っていた。私が入局した第1外科の曲直部寿夫先生もマージャン好きで、お正月なんかは、先生のご自宅に呼ばれてマージャンしたのもいい思い出。 大学時代、バスケットボール部に所属し、西医体に出場(写真右)。「しかし、筋肉が乏しく下手...