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「北村君、ノイヘレンなのに、そんなんするのか?」◆Vol.8

スペシャル企画 2016年9月8日 (木)  橋本佳子(m3.com編集長)

――第一外科に入って最初の1年目は阪大病院、2年目は西宮にある明和病院でそれぞれ研修した。しかし、特段、心臓外科の腕を磨いていたわけではなかった。 阪大病院時代にまずやったのは、人工心肺装置の下準備といった仕事。カテーテルも、今と違って使い捨てではなかったので、1回使っては水で洗い、アルコールやヒビテンで消毒して、1晩置く。翌日にもう一度、蒸留水で洗って再使用していた。当時は注射器も再使用。だから後に注射器を介した肝炎も問題になった。まだそんな時代。 私が所属した心臓外科は、人工心肺グループと、カテーテルグループに分かれており、私が入ったのはカテーテルグループ。当時は、カテーテル検査も外科医の役割。血管造影もやり、肺動脈の直径なども計算し、正確な診断につなげていたけれど、いずれも未熟な段階。カテーテル検査も、胃透視用のレントゲンを用いて実施していたので、一応、鉛のエプロンと帽子をかぶるけれど、検査する方も放射線を浴びまくり。今考えると、むちゃくちゃなことやっていたと言われそう。阪大でシネアンギオグラフィをやり始めたのは、私が1972年にアメリカ留学から帰ってきたくらいというずっと後のこ...