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奈良医大の教授時代、「心臓移植を目指して」◆Vol.17

スペシャル企画 2016年9月17日 (土)  橋本佳子(m3.com編集長)

――奈良医大で心臓移植の準備を進めていた頃、国立循環器病センターから副院長ポストへの誘いがかかった。 移植と言えば、アメリカのピッツバーグ大学の名前がすぐに上がる。東大、京大、阪大など、歴史のある大学からの留学生が多かったが、奈良医大からの留学は前例がなく、行っても経験を積めるかどうかは疑問だったため、アメリカのオクラホマ大学に話をつけて、心臓移植を始めるに当たって、若手を派遣して勉強してもらった。私自身も約1カ月、ロサンゼルスのUCLA病院で心臓移植を研修した。 1992年1月の脳死臨調の答申を経て、1997年10月に「臓器の移植に関する法律」が施行された。当時の厚生省は、心臓移植の施設認定を行う際、経験者数を条件の一つにした。全国から申請が上がり、認定されたのが9施設。国立循環器病センター(現国立循環器病研究センター)と阪大の連携組、東京女子医大などと並んで、奈良医大は最後の9番目の施設として何とか認定された。 ただちょうど同じころ、話が出てきたのが、国立循環器病センター病院の副院長のポスト。当時のセンターの総長を務められていたのが、菊池晴彦先生。「北村、来いへんか」と声をかけられ...