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「Dr.コトー的外科」の終焉◆Vol.4

スペシャル企画 2017年8月26日 (土)  橋本佳子(m3.com編集長)

――1978年の赴任以来39年、下甑島で医療を続ける中で、「Dr.コトー的外科」は終焉したと語る瀬戸上氏。その思いを改めてお聞きした。 自分で検査し、自分で見付け、自分で麻酔をかけ、自分で手術する……。 瀬戸上氏が、手打診療所に赴任した昭和50年代は、 「Dr.コトー的外科」として、外科医がさまざまな可能性にチャレンジできた時代と言える。 これが「Dr.コトー的外科」。手打診療所が何も特殊だったわけではなく、日本全国どこでも、昭和50年代くらいまでは当たり前だった外科医療だと思う。戦後に花が開いた日本的外科とも言える。海外の事情は分からないが、この日本的外科は非常に高いレベルまで上り詰めたと。 手打診療所でも、急性虫垂炎から肺癌、食道癌などまで、さまざまな手術をやった。離島でも大抵の手術ができた時代があった。産婦人科的手術では、胎盤早期剥離、子宮外妊娠、卵巣嚢腫の捻転、子宮瘤膿腫などを経験した。ペースメーカーの植込み術、大腿骨頚部骨折の手術など、他科の領域の手術も手がけた。 しかし、時代は変わり、「Dr.コトー的外科」は徐々に終焉した。術前検査、手術、術後管理までチーム医療で取り組むこ...