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「キノコ雲」、原爆の悲惨さを体験◆Vol.3

スペシャル企画 2017年9月3日 (日)  橋本佳子(m3.com編集長)

――石飛氏の実家のある吉田町は、広島市の中心部から北に向かって約40km。1945年8月6日、原子爆弾が投下された。当時の記憶は石飛氏の中に鮮明に残っている。 石飛家のルーツは、島根県出雲。一家で出雲大社を参拝(提供:石飛氏) その頃は、食糧もなく、腹が減ってね。サツマイモを作る畑を耕すために、子供も大人の鍬を担いで開墾に行く。開墾に行くにも履物がないので、草履を作る。まさに8月6日の朝8時15分、僕たちは国民学校の校庭で、みんな一斉に並んで草履を作っていた。 校庭の土は白かったから、原爆投下の瞬間、目の前が真っ白になった。光は次第に小さくなり、最後は赤い火の玉になって、広島の山の向こうに消えていった。同時に校舎のガラス窓が割れんばかりに、ガタガタと鳴った。最初は、近くの飛行場に爆弾が落とされたのかと思った。けれど、広島の山の向こうからニョキニョキと、入道雲みたいのが湧いてきて、どんどん高くなっていった。キノコ雲は白ではなく、虹色に見えた。ある程度高くなったら、ふわっと横に広がっていき……。 間もなく、B-29、エノラ・ゲイが僕たちの頭の上を飛んでいったよ。「爆弾、落とされた!」と皆で...