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「日山先生」、今でも記憶に残る小学校の恩師◆Vol.4

スペシャル企画 2017年9月4日 (月)  橋本佳子(m3.com編集長)

――石飛氏が国民学校4年生、10歳の時に8月15日に終戦を迎えた。 通学していた国民学校の校舎は、避難してきた人の収容所になったから、僕たちは橋の下で授業を行うようになった。 戦後の生活は苦しかったけれど、うちは商売上手の親父のおかげで助かった。親父は、戦争が本格化するにつれ、自動車をはじめ、事業に使っていたいろいろな商売道具を蔵にしまっておいた。戦後の経済は混乱していたけれど、それらを使い、親父は商売を始めた。 その中にあった野球のグローブを勝手に持ち出して、草野球を始めたから、僕はもう大将だったよ(笑)。野球のグローブはたくさんあったから、その3つ、4つを広島の闇市に持っていて売り、写真機と取り換えたところ、おやじにこっぴどく叱られたこともあった。けれども、写真を撮って、押し入れを暗室にして自分で現像し、親父に見せたら喜んでね。 ――国民学校の思い出として、石飛氏は影響を受けた教師の名前を挙げる。 僕が国民学校時代に限らず、今も影響を受けた人として思い出すのが、4年生から6年生までの3年間、担任だった日山龍登先生。今思い出すと、改めてすごい名前だと思う。終戦を迎えたのは、僕が4年生...