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慶應大医学部、「教養課程で半数が落第!」◆Vol.6

スペシャル企画 2017年9月6日 (水)  橋本佳子(m3.com編集長)

――一浪して1955年、慶應義塾大学医学部に入学する。 入学してみたら、駿台四谷予備校で一緒に受験勉強していた学生も含め、ユニークな人が多かった。体育会の幹事も務めたりして、学生生活は楽しかった。 けれども、大学の授業は全くつまらなかった。教養課程の最初の2年間は、日吉キャンパス。なぜか分からないけれど、古いノートを持ってきて、訳の分からない講義をする先生もいた。「いったい、医学部って何?予備校の続きみたいなことをやってごまかして……」と思っていた。というより、予備校時代の授業の方がはるかに進んでいた。 日吉キャンパスは、東急東横線の日吉駅で下車した東側にある。一方、反対の西側に行くと商店街。次第に駅を降りると、商店街にある雀荘に足を向けるようになった。「これが医学部か。僕は何をしに、こんな所に来たのだろう」と思い始めたよ。 芦花ホームにて(写真:的野弘路)。 一方、日吉キャンパスに行く時は、教室ではなくグラウンドに向かい、陸上をやっていることが多かった。そんな感じで2年間の教養課程が終わってみたら、何と入学時は80人いた同期が、約半分に減っていた。毎年約20人ずつ落とされた。私は要領...