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「もう治せないものはない!」、驕りを戒めた一言◆Vol.7

スペシャル企画 2017年9月7日 (木)  橋本佳子(m3.com編集長)

――石飛氏が慶應義塾大学を卒業したのは1961年3月。当時は卒業後、1年間のインターンがあった。その後、同大の外科に入局する。 僕が外科医になったのは、「“治した”という思いが、はっきり分かる医師」になりたかったから。悪く考えると自意識過剰なのかもしれない。 インターンが終わる頃、同じサッカー部で、とても親しくかつ尊敬していた、福田(宏明氏)という同期の一人と、当直室でこんな会話をしたことがあった。彼が「お前、何科に行くのか」と私に聞くから、「僕は外科」と答えた。「外科に行って、何するんだ」、「感染症は抗生物質が出てきて、治る疾患になった。これからはがんだ」、「やめとけ。がんでも特効薬が明日にもできる時代。そしたら、食いっぱぐれてしまう」。こんなやり取りをしつつ、僕は外科を選び、福田は、「これから年寄りが増えるから」と整形外科に進んだ。彼は後に東海大学の整形外科教授になり、病院長も務めた。 インターン修了後は、慶應大外科に入局。最初の1年間は、外科の基礎を学んだ。2年目の研修先は、当時は「くじ引き」で決めており、僕が当たったのは済生会宇都宮病院。そこで1年間、別の病院でもう1年間研修し...