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ドイツ留学、「2年間で10年分の手術」◆Vol.8

スペシャル企画 2017年9月8日 (金)  橋本佳子(m3.com編集長)

――1970年、ドイツのルール地方、ヴッパータールにあるフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院に血管外科の腕を磨くために留学する。 私の後に来た亀田先生とドイツの病院で(提供:石飛氏) 当時は日本では、血管外科がスタートしたばかりで、東大や九大が先行していた。慶應大でも続いて始まり、阪口周吉先生がドイツのザウアーブルッフ記念病院に留学した。その後、2、3人続き、いったんは途切れたけれど、新しくストライヒャー教授が来た頃に、僕が留学した。 ヴッパータールは、炭鉱の町。だから外傷が多い。ストライヒャー教授は、先進的な血管外科の取り組みを始めた医師で、阪口先生が留学を勧めてくださった。 留学した途端、いきなり患者のムンテラから始まった。しかもカルテは皆、口述筆記。手術記録もそう。だからまずはドイツ語の会話の習得が一番の課題だった。留学が決まってからの静岡赤十字病院での半年間、必死でドイツ語を勉強していたけれど、留学当初は何を言っているのか、聞き取れないことも多かった。看護師の申し送りに、担当医として参加しても、「いったい、何を話しているの?」という状況だった(笑)。およそ分かるようになる...