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医学部定員増に舵を切れた訳 - 舛添要一・元厚労大臣に聞く◆Vol.1

スペシャル企画 2017年12月2日 (土)  聞き手・まとめ:橋本佳子(m3.com編集長)

2007 年8月27日から2009年9月16日までの752日間、第1次安倍晋三内閣、福田康夫内閣、麻生太郎内閣の3代にわたり、厚生労働大臣を務めたのが、舛添要一氏。“消えた”年金記録問題、薬害C型肝炎訴訟、妊婦の救急搬送問題、後期高齢者医療制度、新型インフルエンザの流行……。社会保障分野に限らず、厚生労働行政全般にわたる課題への対応を迫られた舛添氏。“医療崩壊”が叫ばれ、1981年以来、続いてきた医学部定員の削減・抑制政策を180度転換、2008年度の閣議決定で増加に舵を切ったのも舛添氏の時代だった。 医学部定員問題を中心に、当時を振り返っていただくとともに、今の厚生労働行政や医療のあり方をどう見ているのかを併せてお聞きした(全3回の連載)。 ――医学部入学定員は、1981年の琉球大学医学部新設以降、抑制・削減され、1997年の閣議決定で「大学医学部の整理・合理化も視野に入れつつ引き続き、医学部定員の削減に取り組む」とされ、2003~2007年度までは7625人に抑制。しかし、2008年度には臨時定員増が始まるとともに、「経済財政改革の基本方針2008」 (骨太の方針2008)で、「早...