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奴隷の10年「電話のそばで眠りなさい」◆Vol.8

スペシャル企画 2018年11月8日 (木)  橋本佳子(m3.com編集長)

── 1963年から榊原仟氏が主任教授を務める、女子医大第一外科に所属し、心臓外科医としての道を歩み始める。 榊原仟氏の色紙(提供:小柳氏) 世界的に見れば、人工心肺装置を使い、心臓を止めた手術が初めて行われたのは1953年。1956年に日本での最初の手術が大阪大学で行われたが、その6日後に榊原先生が続いた。私が入局した1963年は、世界で心臓外科が始まってからちょうど10年が過ぎた時期に当たる。その後、心臓外科の分野は急速に発展し、その「系統発生」と、私の心臓外科医としての歩みである「個体発生」がほぼ重なりあったことになる。 女子医大の卒業生は、当然のことながら全員が女性。しかし、榊原外科の医局には、全国からその教えを受けるために、一匹狼的な男性医師が数多く集まってきていた。多くが出身大学とのつながりを断って来ているので、自分の実力と人柄で勝負するしかない――と考えていた。榊原外科の同門会のことを一時、「狼友会」と名付けたこともある。一見まとまりにくそうな組織だが、それをまとめるのが教授たる榊原先生の手腕だった。 榊原外科に集まった医師たちは、フランスの義勇兵に似ているとも言える。私...