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手術台での患者死亡も経験、死亡診断書を書く日々◆Vol.9

スペシャル企画 2018年11月9日 (金)  橋本佳子(m3.com編集長)

── 榊原外科に入局後10年は、「奴隷」のような生活だったと言うが、いったいどんな日々だったのか。 入局した当時、既に開心術は日常的に行われていた。全国の病院の中でも、女子医大の症例数は最多で、成績も優れていた。とはいえ、手術成績は今と比較すれば悲惨だった。 当時は人工心肺だけでなく、麻酔も不完全なところが多かった。電気メスもなかったため、出血もひどかった。患者さんが手術台の上で、お亡くなりになってしまうこともあり、1週間に6、7例の開心手術をして、1例もICUに戻ることができなかったこともあった。当時、日本で最も多くの死亡診断書を書いていたのは、私ではないかと思っている。 榊原外科入局当時の厳しい日々も、今となっては懐かしい思い出だという。 死亡診断書を書いて、ご家族に病理解剖をお願いする。解剖が終われば、霊安室に安置して、お焼香する。出棺まで見送って、泣きながら下宿に帰ったこともあった。けれども、それで終わっていたわけではない。榊原先生以下、手術については日々何らかの工夫を重ねていた。当時は年に5%ずつくらいは術後死亡率が下がっていった。 日常生活を振り返ると、誰よりも早く、毎朝7...