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聖隷浜松の初代救急医、国立大阪、北里で心外新設◆Vol.10

スペシャル企画 2018年11月10日 (土)  橋本佳子(m3.com編集長)

── 日本における心臓外科の黎明期、小柳氏は複数の施設で心臓外科の立ち上げに携わった。 聖隷浜松病院の前身、浜松診療所(提供:小柳氏) まず入局1年目で赴任したのが、静岡県浜松市の聖隷浜松病院。その前身の聖隷浜松診療所に、救急医として赴任した。総合病院の開設許可を得たところ、地域の救急の当番が回ってくることになり、病院が建つ前から担当しなければならなかったのだ。今では、780床の全国でも最先端の病院だ。 半年で女子医大に戻った後、入局5年目に赴任したのは、国立大阪病院(現国立病院機構大阪医療センター)。心臓外科の開設に従事した。上の医師が助教授になって箔を付けてから来る予定で、2人で1チームを作る計画であり、私は準備をするために先に入った。 しかし、国立大阪病院にはDC(direct current)によるショック治療器(今のAED)がなく、普通のACの電灯線を使うショック治療器があるのみだった。ACショック治療器では、心臓が止まってしまった場合、基本的には戻らない。「もし細動が起きたら、ダメだな」と思いながら、心臓カテーテル検査などをやり、開設の準備をしていた。 そんなある日のこと、...