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パリ大学、カルパンティエ教授のもとに留学◆Vol.13

スペシャル企画 2018年11月13日 (火)  橋本佳子(m3.com編集長)

── 今野教授の死後、後任の教授ポストはしばらく空席に。小柳氏は1976年2月から1年弱、ドイツとパリへ。 留学先のパリ大学ブルッセイ病院(提供:小柳氏) 教室には二人の助教授がいた。私と今井康晴先生だ。私は成人を年間約500例、今井先生は小児を年間約450例、合わせて年950例ほどの心臓手術を行っており、日本一の症例数だった。二人で競うように症例を伸ばしていた。留学が決まったのは、そんな矢先だ。 留学の最大の目的は、パリ大学ブルッセイ病院にいるアラン・カルパンティエ教授のもとに行くこと。彼はほとんど同世代だったが、素晴らしい弁形成術を手がけており、後に彼が開発した手技は「フレンチ・コレクション」と呼ばれるようになった。もっとも当時、カルパンティエ教授はそれほど有名ではなく、私は日本人留学生の第1号だった。 パリの前に行ったのが、ドイツのハンブルク。ここでどうしても見たかったのは、心筋保存法。その後、ミュンヘンにあるドイツ心臓センターに移った。ドイツでは第二次世界大戦後、心臓病治療の重要性をいち早く認め、計画的に心臓病センターを配置した。その数は約40施設。心臓手術を行う大小さまざまな...