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「後任は和田君」、人生の転機は突然に◆Vol.14

スペシャル企画 2018年11月14日 (水)  橋本佳子(m3.com編集長)

── パリから帰国し、カルパンティエに学んだ弁形成術、「フレンチ・コレクション」に精力的に取り組んでいたある日のこと……。 恩師の榊原先生から呼ばれた。「今野君の後任として、札幌の和田君に来てもらうことが決まった。大阪の千里にできる心臓のナショナルセンターに赴任しなさい」 ──。 和田先生(1968年に「和田移植」を実施した、札幌医科大学の和田寿郎氏)は心臓移植の件で、ネームバリューがあった。当時の女子医大にとって、心臓外科は看板。それを維持するために、「完成品」を呼びたかったのだと思う。助教授だった、われわれ(小柳氏と、小児心臓外科を担当していた今井康晴氏)を引き上げる選択肢は、榊原先生の頭の中にはなかったのであろう。 ── 1977年6月、国立循環器病センター(現国立循環器病研究センター)心臓外科主任医長として大阪に赴任する。 日本学術会議が、循環器分野のナショナルセンターを作ることを決めたのは、創立の8年前。場所は幾つかの候補の中から最終的に大阪に決定。一つ、面白い話がある。最初は「国立循環器センター」という名前だった。ところが、当時の官僚が、井戸のポンプなど、「循環器」と称する...