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病理学教室の壁に飾ってあった一枚の絵◆Vol.4

スペシャル企画 2018年11月4日 (日)  橋本佳子(m3.com編集長)

── 1956年4月、小柳氏は新潟大学医学部に入学する。 新潟大学は旧制医科大学の一つで名門校だが、私が入学した当時は、教養部は旧制新潟高等学校時代から使っていた木造のおんぼろ校舎。冬の季節は朝、大学に行くと教授がストーブを焚いており、われわれは石炭を運ぶところから始まる日々だった。 母からのわずかな仕送りと月3000円の奨学金で、私の医学生生活はスタートした。私のような貧しい家庭の人間が、奨学金をもらいつつ、医学部で勉強させてもらえるのは、ありがたく、うれしかった。食事付きの寮生活で寮費も3000円だから、最低限の生活はできた。友人は、夏休みに北海道などに旅行していたが、私にはそんな余裕はなかった。父の母校である北海道大学を初めて訪ねたのは、東京女子医科大学の助教授時代の35歳、札幌での学会に出席した時だった。北大のクラークの銅像を見たときは感激した。 新潟は雪が多いけれども、冬も授業は休まずほぼ皆勤。いつも最前列で講義を聴いていた。 医学部は、それこそ教わることが多かった。骨1本取っても、骨の小さな突起にも全部名前が付いている。それをラテン語、英語、ドイツ語、そして日本語で覚えた。...