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教授に就任、多忙で「0泊3日」の出張も◆Vol.15

スペシャル企画 2018年11月15日 (木)  橋本佳子(m3.com編集長)

── 1980年5月、再び東京に戻り、44歳で女子医大心研の循環器外科診療科長、教授に就任する。 2年10カ月ぶりに女子医に戻ってきた私の最初の課題は、とにかく症例数を回復させること。有り体に言えば、私は“赤字会社”に行ったわけだ。黒字化するのが当面の最大の目的だった。それを達成すれば、自由にさまざまなことに取り組めると考えた。 教授を務めたのは、2001年までの計21年間。前半の10年間はひたすら手術を行い、教室員を集め、教室の発展に尽力した。学会をはじめ、対外的な活動に積極的に取り組んだのは、教授になって10年目頃、つまり入局1年目の若手が10年選手になり、講師になり始めた頃からだ。 有能な中堅医師は一緒に国循に行くなどしていたので、中間層が全て抜けていた。国循に残った彼らは、何とか女子医大のチームを守ろうとして頑張った。残った8人のうち、実績を挙げた4人が後に教授になった。 女子医大に残っていた若手を助手として使い、手術をせざるを得なかった。「今日の助手、手が動かないなあ」と思うと、入局後1年目や2年目だったりして、大変だった。「手がもう1本あればな」とか、「口で鉤引きするわけに...