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2001年に定年、「血の気の多い煽動者」続ける◆Vol.23

スペシャル企画 2018年11月23日 (金)  橋本佳子(m3.com編集長)

── 2001年3月に東京女子医大を定年退職した小柳氏。いまだに臨床も続ける現役だ。 スターリン、ルーズベルトとともに、ポツダム宣言の主役だった英国首相のウィンストン・チャーチルは、退任時、「これは終わりではない。終わりが始まったのでもない。たぶん、始まりの部分が終わったのだろう」と述べている。 私も、定年退職時の業績集『軌跡』の序文の最後は次のように結んでいる。 「2001年4月以降、私は一心臓外科医に戻り、この分野の将来像を考えつつ、今よりはもう少し静かな日々を送りながら、しかし相変わらず血の気の多い『煽動者』として青年医師達を刺激し続ける存在でありたいと思っている。生ある限り――」 今も週2回、外来診療を担当しつつ、私のライフワークと言える臓器移植の普及に取り組んでいる。そのために2003年に発足させたのが、先にお話しした日本臓器移植関連学会協議会だ。 ── 1963年に榊原外科に入局後、「個体発生」と「系統発生」が重なり、心臓外科医の道を歩んできた小柳氏。定年退職する頃は、開心術の死亡率は1%を切っていた。今後、この分野の医療の展開をどう見ているのか。 私が心臓血管外科医として...