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「来月から大分に行ってくれ」高久教授の一言◆Vol.12

スペシャル企画 2019年2月12日 (火)  橋本佳子(m3.com編集長)

――1980年8月、大分県豊後大野市三重町にあった、大分県立三重病院に赴任することになる。 自治医大の第1期卒業生は1978年に誕生。地域の中核となる病院で2年間研修した後、3年目は僻地や離島の医療機関での勤務を始めるのが一般的でした。一期生の一人が、大分県出身の竹田津文俊君。彼は高久先生(当時自治医大教授だった高久史麿氏)を慕っていて、先生も子どものようにかわいがっていた卒業生です。 彼は、地元に戻ってまず県立大分病院で2年間研修。その後、以前は結核療養所だった大分県立三重病院に赴任しました。結核の患者さんは徐々に減っていて、それに伴い、4つあった病棟も、徐々に一般病棟に変更。1980年当時は、結核病棟が1つに減っていました。 医師は、竹田津君も含めて3人のみ。他の2人は、年配の整形外科の院長と、保健所勤務が長かった眼科出身の副院長。以前は、熊本大学から医師を派遣してもらっていたのですが、今で言う医師の引き揚げがあったのです。入院患者は200人近くいたので、竹田津君が一人で約150人を受け持つという状況になり、高久先生のところに、SOSが来たのです。そこで医局長だった私が呼ばれた。 ...