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告知できるのは選択肢が増えたから【平成の医療史30年◆がん告知編】

スペシャル企画 2019年3月6日 (水)  聞き手・まとめ:岩崎雅子(m3.com編集部)

がん告知率の変化を現場の医師はどのように感じていたのか。1985年に大学を卒業、1991年(平成3年)には米国のアンダーソンがんセンターに留学するなど、平成の30年間を通じてがん治療の一線で活躍、がん対策推進協議会の参考人も務めた、岡山大学大学院医歯薬学総合研究科消化器外科学教授・藤原俊義氏に、がん告知の変遷を聞いた(2018年11月29日インタビュー。全2回の連載)。 藤原俊義氏 ──藤原先生は1985年(昭和60年)に大学をご卒業されています。当時の告知の状況はいかがでしたか。 最初の研修先が岡山済生会総合病院という比較的大きな病院だったので、「がんだから手術してもらいなさい」と紹介されてくる患者さんが多く、いわゆる一般の開業医や小さい病院とは違う状況でした。最初の半年は肺がんの患者を診ることが多かったのですが、半数くらいはご本人に病名が十分伝わっていたと思います。 加えて、当時研修医は自分で患者さんに説明することはあまりなく、手術時はある程度がんだと患者さんが分かった状態でスタートしていたので、告知についてそれほど悩むことはなかったですね。 ただ、高齢の方の場合には、家族から「本...