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「嫉妬」が原動力で大学教授に-志賀隆・国際医療福祉大学医学部救急医学教室教授◆Vol.4

スペシャル企画 2020年12月6日 (日)  聞き手・まとめ:高橋直純(m3.com編集部)

中山:志賀先生は最初から「日本の救急を変えたい」という思いで米国に行き、大学教授になりましたが、日本の救急にどのような問題意識があるのですか。 志賀:昔の日本の救急は、交通事故、やけど、中毒に特化していました。1980年代、1990年代になって、だんだん心筋梗塞、脳卒中や敗血症という感染症が加わりましたが、それが私が大学を卒業する頃の日本の救急の形でした。 救急医とは何かと言うと、やっぱり救急車で運ばれた患者さんを診るお医者さんです。ただ、実際に救急車に乗る患者さんで、日本救急医学会などが相手にしてきた重症疾患は5~10%ぐらいで、90%はいろんなよく分かんない状態の患者さんたちです。それで、何が起きていたかというとたらい回しですよね。日本の救急医療もだいぶ頑張ってきましたが、私が研修医になった頃はまだ不十分な質で、ちょっとおかしいなって私は思いました。 日本の救急専門医は今でも5000人弱。アメリカは3万人ぐらいいるはずで、人口比でも全然少ないです。 中山:そんなにいるんですね。 志賀:私が救急医になった当時は、1500人ぐらいで数も全然足りないですし、対象としている領域も狭くて、不...