1. m3.comトップ
  2. 医療維新
  3. 内部報告書が“冤罪”事件のきっかけに◆Vol.2

内部報告書が“冤罪”事件のきっかけに◆Vol.2

スペシャル企画 2009年4月30日 (木)  聞き手・橋本佳子(m3.com編集長)

――今回の医療事故が起きたのは2001年3月、女子医大が内部調査を行うための委員会を設置したのは6月、内部報告書がまとまったのは2001年10月です(表2)。 今回の事件と福島県立大野病院がよく比較されます。けれども、警察の捜査が内部報告書がきっかけで始まったという点では共通していますが、内部報告書の作成過程には相違点があります。相違の一つは、大野病院事件の場合は、病院の管理者は県なので、県が調査委員会を設置したものの、3人の委員は大野病院以外の医師である上、専門家、つまり産婦人科医が入っています。しかも、完成時に記者会見が行われ、新聞報道されています。これに対して、女子医大の場合は、調査を行ったのは女子医大所属の医師3人であり、人工心肺装置や心臓外科の専門家は入っていません。しかも、完成後、教授会などの学内ですら報告されていません。 遺族にこの内部報告書が渡された時点で、この報告書の存在を知っていたのは、作成者3人と理事長、病院長、心研の所長、事務職員など計7-8人にすぎなかったようです。僕自身、委員会が設置されたのは知っており、1時間ほど聴取を受けたのですが、調査報告書が作成された...