m3.com トップ>医療維新>スペシャル企画

スペシャル企画
Page
出生前診断の是非、医師の3分の1が「分からない」◆Vol.5 2015/10/29

妊娠中に妊婦の羊水や血液から、ダウン症などの胎児の染色体異常を調べる出生前検査。検査の結果、染色体異...

シリーズ:m3.com×NewsPicks共同企画「医療の未来、医師のリアル」

「流行を追う研究」は能がない◆Vol.162015/10/28

――分子生物学は、シークエンスの方法をはじめ、技術の発展とともに目覚ましく進歩している。今後の生命科...

シリーズ:私の医歴書◆岸本忠三・大阪大学名誉教授

「近藤理論」を巡り医師とNP読者の意見の違い◆Vol.42015/10/26

がんは放置すべき、抗がん剤は毒だ、検診による早期発見のメリットはない――。元・慶應義塾大学医学部専任...

シリーズ:m3.com×NewsPicks共同企画「医療の未来、医師のリアル」

近藤理論「99害あって1利あり」「査読論文出すべき」2015/10/26

『m3.com×NewsPicks共同企画「医療の未来、医師のリアル」』の第4回「「近藤理論」を巡り...

シリーズ:m3.com×NewsPicks共同企画「医療の未来、医師のリアル」

「教授は終身雇用」では競争できず◆Vol.152015/10/26

――岸本氏は、政府の総合科学技術会議の議員を、2004年1月から2年半務めた。その経験も踏まえ、今の...

シリーズ:私の医歴書◆岸本忠三・大阪大学名誉教授

「人を残すのは上、仕事を残すのは中、金を残すのは下」◆Vol.142015/10/25

――2007年11月から、阪大免疫学フロンティア研究センターに研究室を構えている。いまだ現役の免疫分...

シリーズ:私の医歴書◆岸本忠三・大阪大学名誉教授

「研究者一本槍にあらず」が強みに◆Vol.132015/10/24

――最初は臨床と研究に従事し、その後は約20年間、基礎の研究者だった。1991年に阪大第三内科教授に...

シリーズ:私の医歴書◆岸本忠三・大阪大学名誉教授

ジェネリック医薬品「義務化すべき」「もっと情報提供を」2015/10/22

『m3.com×NewsPicks共同企画「医療の未来、医師のリアル」』の第3回「ジェネリック医薬品...

シリーズ:m3.com×NewsPicks共同企画「医療の未来、医師のリアル」

ジェネリック医薬品「使いたい」医師はNP読者の半分◆Vol.32015/10/22

先発医薬品の特許期間が切れた後に、他の製薬会社が同等の有効性があるとして製造・供給するジェネリック医...

シリーズ:m3.com×NewsPicks共同企画「医療の未来、医師のリアル」

売上1000億円超のアクテムラ、産学連携の好例◆Vol.122015/10/21

――1986年のIL-6の発見から、抗IL-6受容体抗体であるアクテムラ(トシリズマブ。2005年に...

シリーズ:私の医歴書◆岸本忠三・大阪大学名誉教授

混合診療「格差はあって良い」「金の切れ目が命の切れ目」2015/10/18

『m3.com×NewsPicks共同企画「医療の未来、医師のリアル」』の第2回「医療費カットの切り...

シリーズ:m3.com×NewsPicks共同企画「医療の未来、医師のリアル」

医療費カット「医者が儲からないシステムを」「死生観の政治的誘導」2015/10/18

『m3.com×NewsPicks共同企画「医療の未来、医師のリアル」』の第2回「医療費カットの切り...

シリーズ:m3.com×NewsPicks共同企画「医療の未来、医師のリアル」

医療費カットの切り札は「患者負担増」か「ジェネリック」?◆Vol.22015/10/18

特集Vol.2では、増え続ける医療費に対応するための方策について、医師(m3.com)側と医療の現場...

シリーズ:m3.com×NewsPicks共同企画「医療の未来、医師のリアル」

「サカダイ」から「ハンダイ」目指す◆Vol.112015/10/18

――阪大医学部長を2年間務めた後、1997年8月から2003年7月までの6年間、阪大総長を務めた。総...

シリーズ:私の医歴書◆岸本忠三・大阪大学名誉教授

自分より偉い人、排斥するな◆Vol.102015/10/17

――1997年から2年間、阪大医学部長を務めた。その際、心がけたことは、出身大学を問わず、気鋭の研究...

シリーズ:私の医歴書◆岸本忠三・大阪大学名誉教授

医療の問題点、「医療費を自分で選べず」「医師の報酬額が低い」2015/10/16

『m3.com×NewsPicks共同企画「医療の未来、医師のリアル」』の第1回「日本の医療の問題点...

シリーズ:m3.com×NewsPicks共同企画「医療の未来、医師のリアル」

日本の医療の問題点、待ち時間か患者の理解不足か◆Vol.12015/10/16

今年9月初旬、マスメディアに「医療費、ついに40兆円突破」という見出しが躍った。厚生労働省が発表した...

シリーズ:m3.com×NewsPicks共同企画「医療の未来、医師のリアル」

「金曜日は、Kishimotoの回診」◆Vol.92015/10/16

――研究や臨床の原点は、「なぜ」と問いかけることにあるという。岸本氏は、医学生の講義でもそれを実践し...

シリーズ:私の医歴書◆岸本忠三・大阪大学名誉教授

阪大第三内科教授に就任、臨床も再開◆Vol.82015/10/14

――長年、基礎研究に身を置いていたものの、阪大細胞工学センター教授から、1991年に阪大第三内科の教...

シリーズ:私の医歴書◆岸本忠三・大阪大学名誉教授

ピンチ屈せず、IL-6をついに発見◆Vol.72015/10/12

――1978年の夏、3年間通い続けたスローン・ケタリングがん研究所から移籍の話をもらう。やはり当時の...

シリーズ:私の医歴書◆岸本忠三・大阪大学名誉教授

「初のNature論文」が留学の成果◆Vol.62015/10/11

――1974年に米国留学から帰国。ただ、どこに戻るか、“ひと騒動”があった。その前年の1973年、京...

シリーズ:私の医歴書◆岸本忠三・大阪大学名誉教授

独創的なアイデアの基は“議論”◆Vol.52015/10/10

――岸本氏が、ジョンズ・ホプキンス大学の石坂公成教授の研究室に留学した1970年は、まさに免疫学の本...

シリーズ:私の医歴書◆岸本忠三・大阪大学名誉教授

『白い巨塔』の時代、阪大に在籍◆Vol.42015/10/7

――山崎豊子氏の小説、『白い巨塔』は、阪大病院がモデルとされる。小説が雑誌に連載されたのは、1963...

シリーズ:私の医歴書◆岸本忠三・大阪大学名誉教授

人生の重要な選択は「師と配偶者」◆Vol.32015/10/5

――阪大入学は、1958年4月。当初から臨床医ではなく、研究者を目指していたという。最初の2年間は教...

シリーズ:私の医歴書◆岸本忠三・大阪大学名誉教授

中学校、半分近く登校せず◆Vol.22015/10/3

――岸本氏は、1939年5月7日、大阪・河内の富田林で生まれた。活発だった子供時代(提供:岸本氏)小...

シリーズ:私の医歴書◆岸本忠三・大阪大学名誉教授

人生二度の「しゃあないな」で進路変更◆Vol.12015/10/1

大阪大学と言えば、日本の免疫学研究の拠点。その礎を作ったのが、情報伝達物質であるIL-6の発見で、世...

シリーズ:私の医歴書◆岸本忠三・大阪大学名誉教授

生まれ変わっても外科医◆Vol.302015/9/30

――「ディスラプティブ・イノベーション」は、国際医療福祉大学でも実現を目指す。国際医療福祉大学学長室...

シリーズ:私の医歴書◆北島政樹・慶應義塾大学名誉教授

生涯の恩師は3人、墓参を欠かさず◆Vol.292015/9/29

――北島氏は1941年生まれ。この8月で74歳になった。非常に健康で、学内外の活動に精力的に取り組む...

シリーズ:私の医歴書◆北島政樹・慶應義塾大学名誉教授

成田の医学部、2017年度開校目指す◆Vol.282015/9/28

――国際医療福祉大学は2016年4月、看護学部と保健医療学部の二つの学部を持つ、大学としては5つ目の...

シリーズ:私の医歴書◆北島政樹・慶應義塾大学名誉教授

「一身独立して一国独立す」の精神で◆Vol.272015/9/27

――国際医療福祉大学の理念の一つが、「社会に開かれた」大学。その理念実現に向け、開始したのが、キッズ...

シリーズ:私の医歴書◆北島政樹・慶應義塾大学名誉教授

国際医療福祉大学の学長へ◆Vol.262015/9/26

――慶應義塾大学を定年退職したのは2007年3月。自らの後継者についてはどう考えていたのか。慶應の場...

シリーズ:私の医歴書◆北島政樹・慶應義塾大学名誉教授

「Kitajima Prize」、国際消化器外科学会に創設◆Vol.252015/9/25

――2013年にヘルシンキで万国外科学会学術集会が開かれ、その時に国際消化器外科学会の中に「Kita...

シリーズ:私の医歴書◆北島政樹・慶應義塾大学名誉教授

外科医の集大成、万国外科学会会長に◆Vol.242015/9/24

――北島氏は、医学の分野ではトップジャーナルのNEJMの編集委員を2002年から務めるなど、対外的な...

シリーズ:私の医歴書◆北島政樹・慶應義塾大学名誉教授

教育充実向け、各科予算30%カット◆Vol.232015/9/23

――1999年から2年間、病院長を務めた後、2001年に慶應大医学部長に就任した。医学教育においては...

シリーズ:私の医歴書◆北島政樹・慶應義塾大学名誉教授

赤字の慶應病院の黒字化に成功◆Vol.222015/9/22

――1999年から慶應大学病院の病院長に就任、さまざまな業務改革を実施した。病院長になってまず始めた...

シリーズ:私の医歴書◆北島政樹・慶應義塾大学名誉教授

王監督の胃癌、腹腔鏡下手術で全摘◆Vol.212015/9/21

――1991年の慶應大の外科教授就任時に掲げたテーマ、3つ目が「外科腫瘍学」だ。腫瘍については、従来...

シリーズ:私の医歴書◆北島政樹・慶應義塾大学名誉教授

2000年、第100回外科学会の会頭に◆Vol.202015/9/20

――北島氏は、2000年という節目の年に開かれた、第100回の記念すべき日本外科学会定期学術集会の会...

シリーズ:私の医歴書◆北島政樹・慶應義塾大学名誉教授

「da Vinci」、アジアの第1号機導入◆Vol.192015/9/19

――1991年の教授就任時、取り組むべき3つのテーマとして掲げた一つが、低侵襲・個別化手術だ。フラン...

シリーズ:私の医歴書◆北島政樹・慶應義塾大学名誉教授

臓器移植、「数より質で勝負」◆Vol.182015/9/18

――肝臓移植を実施し、先進医療として申請するには、2症例の経験が必要だった。慶應の移植で優れたところ...

シリーズ:私の医歴書◆北島政樹・慶應義塾大学名誉教授

慶應大教授として15年計画を立案◆Vol.172015/9/17

――苦労が多い中でも、北島氏は1991年5月の外科教授就任から、65歳という定年までの15年間のプラ...

シリーズ:私の医歴書◆北島政樹・慶應義塾大学名誉教授

1991年、外科教授として慶應大に復帰◆Vol.162015/9/16

――1991年5月、14年ぶりに慶應大に戻り、外科教授に就任する。若手の頃、そして杏林大学の教授にな...

シリーズ:私の医歴書◆北島政樹・慶應義塾大学名誉教授

自由度高い杏林大、多数の業績残す◆Vol.152015/9/15

――手術の低侵襲化については、内視鏡下手術の導入を検討するほか、開腹での手術手技についても研究を重ね...

シリーズ:私の医歴書◆北島政樹・慶應義塾大学名誉教授

国試合格率に苦労も、臨床と研究に邁進◆Vol.142015/9/14

――1977年9月から1991年4月の杏林大学時代、苦労したのが、医師国家試験の合格率。医学生を集め...

シリーズ:私の医歴書◆北島政樹・慶應義塾大学名誉教授

杏林大、2番目の生涯の恩師に会う◆Vol.132015/9/13

――杏林大学の医学部は、1970年に開設したばかりで、北島氏が同大第一外科に講師として赴任したのは1...

シリーズ:私の医歴書◆北島政樹・慶應義塾大学名誉教授

留学途中、教授の帰国指示を断る◆Vol.122015/9/12

――留学時代は、さまざまな文化の違いにも直面して刺激を受けた。家の前にオランダ人やアメリカ人の家族も...

シリーズ:私の医歴書◆北島政樹・慶應義塾大学名誉教授

恩師の教授、「Academic surgeonを目指せ」◆Vol.112015/9/11

――ハーバード大学におけるストレス潰瘍の研究に当たっては、内視鏡を日本から取り寄せるなど、独自のアイ...

シリーズ:私の医歴書◆北島政樹・慶應義塾大学名誉教授

ハーバード大学に2年間留学◆Vol.102015/9/10

――足利時代、臨床に研究に、フルに活躍していた。足利日赤に赴任する際に、買ったのが、2台のニコンの一...

シリーズ:私の医歴書◆北島政樹・慶應義塾大学名誉教授

医師6年目で学会のシンポジストに◆Vol.92015/9/9

――足利日赤と川崎市立病院で、幅広く外科の研修を実施した。その2年間を踏まえ、その後のキャリアをどう...

シリーズ:私の医歴書◆北島政樹・慶應義塾大学名誉教授

初めての執刀医、その機会は突然に◆Vol.82015/9/8

――消化器外科を選んでから2年目に当たる1968年から1年間は、足利日赤で研さんを積んだ。足利赤十字...

シリーズ:私の医歴書◆北島政樹・慶應義塾大学名誉教授

半年遅れで国試合格、消化器外科に◆Vol.72015/9/7

――尊敬していた恩師のいる消化器内科ではなく、最終的に消化器外科を選んだのは、どのような理由からだろ...

シリーズ:私の医歴書◆北島政樹・慶應義塾大学名誉教授

全1242件中 501-550件