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レポート 私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授 |
――熱帯医学の重要性について、熱研から離れて時間が経った今も熱く語る青木氏。長崎大の熱帯医学ミュージ...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
――長年、基礎医学者の立場として、最後は人材養成を目的とする長崎大学大学院国際健康開発研究科の科長を...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
――シンガー・ソングライターのさだまさしが1987年に発売した『夢回帰線』というアルバムに、収録され...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
――2008年度からスタートした長崎大学大学院の国際健康開発研究科(2015年度から長崎大学熱帯医学...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
――長崎大学の熱帯医学研究所所長を2007年3月に退任した後、大学院国際健康開発研究科(2015年度...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
――「学際的」に取り組んできた、長崎大のケニア拠点は、日本が主催するアフリカの開発をテーマとする国際...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
――長崎大学は2005年に、JICAプロジェクト終了間際の2005年、独自のケニア拠点を設置した。今...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
――長崎大の熱研がプレゼンスを発揮するきっかけの一つとなったのが、2003年に中国を中心に、世界的に...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
――2001年4月、青木氏は熱研の所長に就任。私の前の所長は、1999年に「日本脳炎・デング等アルボ...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
――長崎大がかかわってきたケニアJICAプロジェクトは、外部評価を受けたことがある。JICAが複数実...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
――住血吸虫症の撲滅には、住民の行動変容以外に、もう一つ解決方法がある。それは住血吸虫の生存の連鎖を...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
――ケニア・クワレ地域における住血吸虫の繁殖様式や感染経路などが分かっても、住血吸虫症を疾患として捉...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
――1983年には、長崎大の熱研寄生虫部門の教授に就任した。ケニアプロジェクトにおける教授の主な役割...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
――グアテマラから帰国後、1981年から今度はJICAのケニア感染症プロジェクトに参加することになる...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
――グアテマラのプロジェクトは、青木氏が帰国した後も長年続き、「JICAが誇りにしている成果の一つ」...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
――UCLA留学から帰国後、1975年には熱研寄生虫部門の助教授に就任した。その翌年1976年から1...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
――大学院修了後、1973年8月から翌1974年3月まで、米国UCLAのSchoolofPublic...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
――大学院3年目からは、韓国の済州島で、日韓共同によるマレー糸状虫症の研究に取り組んだ。フィールドが...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
――医学部卒業後、「臨床医になるなら皮膚科」と決めていたが、結局は基礎研究の道に入る。集団を念頭に置...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
――青木氏が寄生虫学という基礎研究の道に進むことになったのは、医学部3年生の時の実習がきっかけだった...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
――青木氏は1962年4月、長崎大学医学部に入学。最初の2年間の教養課程の講義にはあまり興味が持てな...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
――寄生虫や寄生虫病についてのさまざまな経験や記憶を、昨日のように熱く語る青木氏。どんな生い立ちで、...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
――青木氏は、熱帯医学においては、医療者だけにとどまらず、学際的に取り組む重要性を説く。その例として...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
――日本で培った風土病研究の経験を生かし、長崎大学風土病研究所が海外展開を開始したのは1964年のこ...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
――長崎大学において、「原爆後障害医療研究所」と並んで有名なのが、青木氏が所属していた「熱帯医学研究...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授
長崎大学の熱帯医学研究所、通称「熱研」は、日本における熱帯医学研究を目的とする唯一の公的な機関だ。同...
私の医歴書◆青木克己・長崎大学名誉教授