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スペシャル企画 私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授
「予想外」の人生の連続◆Vol.302015/11/30

――井村氏の妻は、耳鼻咽喉科医。結婚したのは1959年だ。大津赤十字病院に勤務している時代、私の中学...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

関西の健康医療産業、発展を目指す◆Vol.292015/11/29

――日本医学会総会の会頭が「最後のご奉公」と思っていたものの、同総会を機に、さらに井村氏の活躍の場は...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

医学会総会会頭、「最後のご奉公」◆Vol.282015/11/28

――総合科学技術会議の議員を務めた後、先端医療振興財団の理事長職を、2004年から今年6月まで10年...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

「失礼ですが、井村さんですか」◆Vol.272015/11/27

――結局、科学技術会議と総合科学技術会議の議員を6年近く務めた井村氏。家内は耳鼻咽喉科医で、京都で開...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

「カーネギー会合」、科学技術政策の参考に◆Vol.262015/11/26

――井村氏は、1998年から2004年まで科学技術会議、総合科学技術会議の議員を務めた。さらに2期目...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

科学技術会議の議員「改革のチャンス」◆Vol.252015/11/25

――1997年12月に京大総長を辞め、1998年4月に神戸市立中央市民病院の院長に就任した。ところが...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

東大と京大、私学化の議論も◆Vol.242015/11/24

――京大総長時代、国立大学協会の仕事もやり、最初は副会長、1997年には会長を務め、大学全体の問題に...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

総長の仕事、「抵抗との戦い」◆Vol.232015/11/23

――結局、1991年12月から、2期6年間、京大総長を務めた。やり残したことなどはあったのだろうか。...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

総長の「最後のお願い」、ポケットゼミ◆Vol.222015/11/22

――4つの独立研究科の新設とともに、医学部長時代からの懸案だった、京大の附属研究所の再編にも着手する...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

京大の3大課題の検討開始◆Vol.212015/11/21

――1991年12月、京大総長に就任。医学部長の任期途中、かつ教授職から総長職に切り替えなければなら...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

京大総長就任と『AERA』ショック◆Vol.202015/11/20

――医学部長を3年間務めた後、1991年12月から京都大学総長を務めることになった。医学部長は1期2...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

医学部長時代、医学部定員削減も断行◆Vol.192015/11/19

――1989年4月、医学部長に就任、仕事はさらに多忙になった。思いがけず就任した医学部長ですが、やり...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

教授回診、「3S」の方針で臨む◆Vol.182015/11/18

――研究と同時に、臨床にも熱心だった井村氏。教授回診やカンファレンスの時には、どんな点を心がけていた...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

ANP、BNPで新知見、心不全診療に貢献◆Vol.172015/11/17

――1977年の京大第二内科教授就任後、人員体制とともに、研究についても、体制を整え、進めていた。京...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

京大教授に就任、大学紛争の名残で苦労◆Vol.162015/11/16

――当初は予算もなく、立ち上げに苦労した神戸大教授。5年間半、務め、1977年に京大第二内科の教授に...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

研究室の仇名は「楠町の不夜城」◆Vol.152015/11/15

――神戸大教授、就任当初は、「お金も人もない」状況だったが、1972年春、ようやく体制が整い始め、研...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

神戸大教授の初日、「井村は罷免した」◆Vol.142015/11/14

――大学紛争の終わり頃、1971年、神戸大学の第三内科の教授に就任する。当時、旧帝大は第一内科から第...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

京大に戻るも、大学紛争で研究中断◆Vol.132015/11/13

――1964年2月、約1年3カ月の留学を終え、京大第二内科の助手に戻った。当初から留学は1年の予定で...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

休暇の全米旅行は“大学教授訪問”◆Vol.122015/11/12

――約1年3カ月の留学期間中、研究でも成果を挙げたほか、全米の内分泌関係の著名な教授を訪問したことが...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

米国の良さと問題、留学中に実感◆Vol.112015/11/11

――1960年代における日米の研究環境は、どのような相違があったのだろうか。良い面と悪い面、両方があ...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

論文を書き留学終える、面目保つ◆Vol.102015/11/10

――1963年11月、当初の予定より約半年遅れながら、アメリカ留学を果たす。カルフォルニア大学のFo...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

苦労続きの大学院、「最初の一歩」まで1年◆Vol.92015/11/9

――大学院時代、最初に与えられたのが、副腎皮質刺激ホルモンに関する研究だった。私たち同期4人は、三宅...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

一人の患者が内分泌学目指す契機に◆Vol.82015/11/8

――入局2、3年目の大津赤十字病院時代、幅広く内科疾患を担当し、研さんを積んだ日々だった。大津日赤時...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

剖検も内科医の仕事、厳しい研修◆Vol.7 2015/11/7

――地元に帰って開業する道は選ばず、研究を志向し、大学院を目指す。京大に1955年にできた医学系の新...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

尊敬する臨床医と出会い、内科の面白さ知る◆Vol.62015/11/6

――基礎から臨床まで一通り講義を受けて、自身の進路はいつ頃決めたのだろうか。学生時代には一時期、脳外...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

京大時代は「講義、弓道と茶道」◆Vol.52015/11/5

――1950年、旧制三高を卒業し、京都大学医学部に入学する。当時は戦争が終わって、他の学部は、旧制高...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

旧制三高の古き良き教養教育とフランス映画◆Vol.42015/11/4

――1947年4月、京都にある旧制の第三高等学校に入学、親元を離れ、下宿生活が始まった。入学試験の日...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

中三で終戦、旧制三高に進学◆Vol.32015/11/3

――中学3年生で迎えた終戦。それでも、すぐに通常の授業に戻ることはなく、落ち着かない日々が続いた。旧...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

「将来は家業を継がず、医師になる」◆Vol.22015/11/2

――虚弱だった子供時代。自身の病気や病院通いの体験を通じて、次第に医師を志すようになった。幼少の頃(...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

84歳で“現役”、30以上の肩書持つ◆Vol.12015/11/1

今年4月に京都を中心に開催された、「第29回日本医学会総会2015関西」。その会頭を務めたのが、京都...

私の医歴書◆井村裕夫・京都大学名誉教授

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