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スペシャル企画 私の医歴書◆二村雄次・名古屋大学名誉教授
座右の銘は「忍苦精進 死而後己」◆Vol.272016/2/27

――座右の銘に、「道場箴規」、「忍苦精進死而後己」という言葉があるという。柔道は生涯現役を続けるとい...

私の医歴書◆二村雄次・名古屋大学名誉教授

外科医の評価、日本は低すぎる◆Vol.262016/2/26

――外科医はなり手不足。その現状をどう見ているのだろうか。2014年、IHPBA(国際肝胆膵学会)で...

私の医歴書◆二村雄次・名古屋大学名誉教授

全日本医師柔道大会、1989年から連続出場◆Vol.252016/2/25

――「二足のわらじ」と言われるほど、二村氏は、医師としての仕事と同様に、柔道にも精力を傾けてきた。1...

私の医歴書◆二村雄次・名古屋大学名誉教授

国際外科博物館“殿堂入り”はチームの栄誉◆Vol.242016/2/24

――二村氏がメスを置いたのは、今から4年前の2012年3月。愛知県がんセンター総長と愛知県病院事業庁...

私の医歴書◆二村雄次・名古屋大学名誉教授

外科教授、手術下手では勤まらず◆Vol.232016/2/23

――病院長は1期2年で終え、2002年11月から、また教授職に専念する。2005年には第105回日本...

私の医歴書◆二村雄次・名古屋大学名誉教授

腹腔鏡事故、「逃げない、隠さない、ごまかさない」◆Vol.222016/2/22

――2002年8月、名大病院で、腹腔鏡手術中の大動脈損傷による死亡事故が起き、メディアでも大々的に報...

私の医歴書◆二村雄次・名古屋大学名誉教授

「職員の半分が支持」で改革は進む◆Vol.212016/2/21

――国立大学の法人化を控え、繰り返し改革の必要性を説き、病院職員の意識は徐々に変わっていった。「国か...

私の医歴書◆二村雄次・名古屋大学名誉教授

「胆道がん手術は、お前しかできない」◆Vol.202016/2/20

――2000年11月から2002年10月までの2年間、名大病院の病院長を務めることになった。病院長は...

私の医歴書◆二村雄次・名古屋大学名誉教授

「患者不在のベッドコントロール」にメス◆Vol.192016/2/19

――2000年11月から2年間、名大医学部附属病院の病院長を務めたが、その8年ほど前から、病院の運営...

私の医歴書◆二村雄次・名古屋大学名誉教授

「俺の体を使って、実験しろ」と恩師◆Vol.182016/2/18

――もう一人、忘れられない患者さんがいる。それは当時、名大の病理学教授として全国的にも有名だった、牛...

私の医歴書◆二村雄次・名古屋大学名誉教授

「5%成功の可能性があるなら、手術を」◆Vol.172016/2/17

――海外で印象的なライブ手術は、インドのムンバイ(ボンベイ)で1997年に実施した手術だという。肝胆...

私の医歴書◆二村雄次・名古屋大学名誉教授

名大第一外科教授に就任、「大河ドラマを」◆Vol.162016/2/16

――1991年、48歳の時に、名大第一外科教授に就任する。名大第一外科教授就任の頃(提供:二村氏)名...

私の医歴書◆二村雄次・名古屋大学名誉教授

UCLA留学の最大の成果は「柔道」◆Vol.152016/2/15

――二村氏が留学したのは、第一外科の助教授時代。1987年9月から1988年6月までのことだ。塩野谷...

私の医歴書◆二村雄次・名古屋大学名誉教授

塩野谷教授、「一升瓶片手に論文読む」◆Vol.142016/2/14

――塩野谷教授は、厳しいながらも、学ぶことが多い先生だったという。朝は6時に病院に来るのが、先生のラ...

私の医歴書◆二村雄次・名古屋大学名誉教授

外科手術向上に必須の「三要素」◆Vol.132016/2/13

――肝門部胆管がんを専門とするようになったのは、どんな経緯からなのだろうか。経皮経肝胆道内視鏡(PT...

私の医歴書◆二村雄次・名古屋大学名誉教授

「二村先生、出血が止まりません」◆Vol.122016/2/12

――卒後6年目の入局。しかも先輩が多い名大第一外科の腫瘍グループ。八千代病院でのアルバイトと並行する...

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卒後6年目、名大第一外科に入局◆Vol.112016/2/11

――がん研病院で研修したのは、1973年4月から1974年9月までの1年半。その間に本当にいろいろな...

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手術の次に大事なのは「記録」◆Vol.102016/2/10

――梶谷先生にまつわるエピソードは尽きない。梶谷先生は、後進に厳しかっただけでなく、自分にも厳しい先...

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手術は逃げるべからず、「鐶語録」◆Vol.92016/2/9

――医師免許取得から5年目の1973年4月から1974年9月までの1年半、東京のがん研病院(現がん研...

私の医歴書◆二村雄次・名古屋大学名誉教授

がん研で「別次元の手術」に出会う◆Vol.82016/2/8

――八千代病院時代、がん研病院に研修に行き、出会った梶谷鐶氏が、人生2人目の師となった。梶谷先生の手...

私の医歴書◆二村雄次・名古屋大学名誉教授

「野戦病院」で医師の基礎を築く◆Vol.72016/2/7

――1969年4月からの卒後1年間は、柔道にまい進した後の“燃え尽き症候群”で、ほとんど研修せず、柔...

私の医歴書◆二村雄次・名古屋大学名誉教授

かろうじて卒業も、1年は「遊学」◆Vol.62016/2/6

――名大医学部時代、最後の難関となったのが、卒業試験だ。6年生の時の柔道部の最後の七帝戦で優勝できな...

私の医歴書◆二村雄次・名古屋大学名誉教授

七帝戦、主将で戦い、東大に負ける◆Vol.52016/2/5

――名大柔道部時代の一番の思い出は、やはり七帝戦だという。特に、思い出深いのは、優勝した大学3年の時...

私の医歴書◆二村雄次・名古屋大学名誉教授

人生の師、岡野師範の薫陶受ける◆Vol.42016/2/4

――名大柔道部の岡野師範の下、師範が亡くなるまで5年間柔道に打ち込む、まさに柔道中心の生活だった。柔...

私の医歴書◆二村雄次・名古屋大学名誉教授

柔道優先で一浪、名大医学部に入学◆Vol.32016/2/3

――ひたすら柔道の練習をし、試合に出るという、柔道一色の高校生活だったものの、授業だけは、出ていたと...

私の医歴書◆二村雄次・名古屋大学名誉教授

実家は薬局、二男として誕生◆Vol.22016/2/2

――二村氏が生まれたのは、1943年6月13日。実家は、今の名古屋市南区にある薬局だった。旧東海道筋...

私の医歴書◆二村雄次・名古屋大学名誉教授

「がん研魂」と「柔道魂」に生きる◆Vol.12016/2/1

胆道がん治療の第一人者として知られる、名古屋大学名誉教授の二村雄次氏。今はメスを置いたが、現役時代は...

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