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スペシャル企画
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九大の生体肝移植、1例目を手掛ける◆Vol.152016/1/18

――就任から最初の5年間、力を入れたのが、教室の体制固めだ。まずは徹底的に手術を教えました。昔はね、...

シリーズ:私の医歴書◆水田祥代・九州大学名誉教授(福岡学園・福岡歯科大学理事長)

女性の教授、「全うしなければ」と覚悟◆Vol.142016/1/17

――その後、1983年10月から、1986年3月まで、福岡市立こども病院の外科部長に就任する。こども...

シリーズ:私の医歴書◆水田祥代・九州大学名誉教授(福岡学園・福岡歯科大学理事長)

学位取得、九大第二外科初の女性助手に◆Vol.132016/1/16

――1970年4月、2年間の留学を終え、九州大学の第二外科に戻る。大学紛争が一応、収束したとはいえ、...

シリーズ:私の医歴書◆水田祥代・九州大学名誉教授(福岡学園・福岡歯科大学理事長)

初の論文、腸重積の症例分析まとめ帰国◆Vol.122016/1/15

――九大時代は、「なぜ女性が外科に……」と見る目もあったけが、イギリスではなかった。おかげで2年間の...

シリーズ:私の医歴書◆水田祥代・九州大学名誉教授(福岡学園・福岡歯科大学理事長)

多忙な中、半年ごとの休暇を満喫◆Vol.112016/1/14

――忙しい中でも、初めての留学、初めての海外での生活を楽しむ機会もあった。リバプールに着任した2月は...

シリーズ:私の医歴書◆水田祥代・九州大学名誉教授(福岡学園・福岡歯科大学理事長)

手術名手、Big Daddy の「Magic」◆Vol.102016/1/13

――多くの症例を経験できたものの、リバプール小児病院は、系統立てて学ぶというよりは、日本式に「ボスを...

シリーズ:私の医歴書◆水田祥代・九州大学名誉教授(福岡学園・福岡歯科大学理事長)

留学時代、2年で1200例の手術経験◆Vol.92016/1/12

――1968年3月、リバプール大学附属AlderHey小児病院での研修を開始する。リバプール時代、入...

シリーズ:私の医歴書◆水田祥代・九州大学名誉教授(福岡学園・福岡歯科大学理事長)

「一生続くわけではない」と苦労乗り越える◆Vol.82016/1/11

――今は、外科に進む女性医師は少なくないが、当時は、「女性に外科医は無理」とのイメージがあったという...

シリーズ:私の医歴書◆水田祥代・九州大学名誉教授(福岡学園・福岡歯科大学理事長)

「腸閉塞のハンサムボーイ」で進路変更◆Vol.72016/1/10

――立川米空軍病院でのインター時代、将来を決める、ある患者に出会う。インターンをしたのは、1966年...

シリーズ:私の医歴書◆水田祥代・九州大学名誉教授(福岡学園・福岡歯科大学理事長)

インターン闘争時代、立川米軍病院で研修◆Vol.62016/1/9

――3年になり、専門課程に進学してから、入会したのが、「英語で医学を学ぶ会」。1966年3月九大医学...

シリーズ:私の医歴書◆水田祥代・九州大学名誉教授(福岡学園・福岡歯科大学理事長)

九大入学、最初に出血を見て「失神」◆Vol.52016/1/8

――1960年、子供の頃から憧れていた、九州大学医学部に入学した。ところが、入学後のオリエンテーショ...

シリーズ:私の医歴書◆水田祥代・九州大学名誉教授(福岡学園・福岡歯科大学理事長)

高校時代、成績トップも物理でつまずく◆Vol.42016/1/7

――高校の成績はトップで、勉強も、読書も歴史が大好き。一方で、嫌いになってしまったのが、物理。長崎東...

シリーズ:私の医歴書◆水田祥代・九州大学名誉教授(福岡学園・福岡歯科大学理事長)

「九大医学部」希望に担任あきれる◆Vol.32016/1/6

――1957年、長崎市内の長崎県立東高等学校に入学。親元を離れ、下宿生活を始める。中学校の1学年の半...

シリーズ:私の医歴書◆水田祥代・九州大学名誉教授(福岡学園・福岡歯科大学理事長)

九大に入院、「さっちゃんはお医者さんになる」◆Vol.22016/1/5

――医師を目指すきっかけは、5歳の時に、麻疹から中耳炎になり、九大病院に入院した経験だ。母からは、「...

シリーズ:私の医歴書◆水田祥代・九州大学名誉教授(福岡学園・福岡歯科大学理事長)

「女性初」の人生、「まさかの坂」にあらず◆Vol.12016/1/4

「九大、大好き人間」。水田祥代氏は自らをこう形容する。数えで6歳の時、九州大学病院に入院した頃から九...

シリーズ:私の医歴書◆水田祥代・九州大学名誉教授(福岡学園・福岡歯科大学理事長)

研究費の不当会計処理も「無駄ありて 無駄なし」◆Vol.312015/12/31

――50年以上、医療界で仕事をしてきた立場から、今の若手医師へのメッセージをお聞きした。「下医と下患...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

小説家、ペンネームは「茂堂 久」◆Vol.302015/12/30

――久道氏は、「茂堂久(もどうひさし)」のペンネームで、『アンデスの神々』『天空の柄杓』『シャングリ...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

『病院監査ことはじめ』を上梓◆Vol.292015/12/29

――2007年4月から、宮城県対がん協会会長を務め、今に至る。29歳から42歳で東北大教授になるまで...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

「パブリッシュ・オア・ぺリッシュ症候群」◆Vol.282015/12/28

――日本医学会の主な仕事は、さまざまな医学と社会的な問題に対して声明を出したり、ガイドラインをまとめ...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

拙速な制度の見直しは危険◆Vol.72015/12/27

――新たな医療事故調査制度がどのように機能するか、最初の立ち上がりが重要です。山本先ほど武田先生が言...

シリーズ:始動する“医療事故調”スペシャル座談会

定年間際の教授、院長就任依頼が来たら?◆Vol.272015/12/27

――2002年に宮城県病院事業管理者に就任した久道氏の改革は続く。病院の名前も変えました。がんセンタ...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

県立病院のトップ、「赤字垂れ流し」に奮発◆Vol.262015/12/26

――2002年4月、定年退官とともに宮城県病院事業管理者、宮城県立がんセンター総長に就任した。最初の...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

教授退官の最終講義、「疫学を益学に」◆Vol.252015/12/25

――東北大学公衆衛生学教室の教授、医学部長を務め、定年退官したのが2002年のことだ。最終講義のテー...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

「当事者の責任追及」を正面から否定◆Vol.62015/12/24

――仮に、事故の発生を報告した後に、「調査の過程で、事故ではなかった」と判断した場合、報告自体を取り...

シリーズ:始動する“医療事故調”スペシャル座談会

定年後、「仙台市長」の話も浮上◆Vol.242015/12/24

――東北大学の医学部の場合、定年後の就職先を探すなどの準備ができるよう、定年の1年前に医学部長を辞め...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

医学部入試、「全員面接」を導入◆Vol.232015/12/23

――全員面接を入れるなど、1995年4月から2001年3月までの医学部長時代は、医学部入試の在り方も...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

医学部長、最大の仕事は「いい教授を選ぶ」◆Vol.222015/12/22

――1995年、東北大学医学部長に就任にした。教授選びの重要性を説く(写真:伊藤有宏)医学部長になる...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

「院内死亡を全例把握」は大きな成果◆Vol.52015/12/21

――医療事故調査制度では、遺族への説明の在り方も問題になります。医療安全が目的であって、ご遺族への説...

シリーズ:始動する“医療事故調”スペシャル座談会

地域がん登録義務化、検証が必須◆Vol.212015/12/21

――2016年1月から、全国の医療機関にがん登録が義務付けられ、いよいよがん罹患情報が全国的に整備さ...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

宮城県がん登録、全国に先駆け整備◆Vol.202015/12/20

――久道氏が、宮城県がん検診センター時代、さらには東北大学時代、がん検診の科学的評価に取り組むことが...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

「所長」の経験、教授職に生きる◆Vol.192015/12/19

――教授就任前までの9年間、宮城県がん検診センター所長を経験したことが、教授という仕事に非常に生きた...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

報告書は「非識別化」が前提◆Vol.42015/12/18

――院内調査については、報告書において「非識別化」にどう対応するかも、難しい問題です。長田私は、先ほ...

シリーズ:始動する“医療事故調”スペシャル座談会

「がんの疫学のメッカ」を目指す◆Vol.182015/12/18

――学生の講義は、最初は苦労したが、途中から採用したのは「少人数」形式の講義。公衆衛生の講義は、専門...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

東北大教授就任も、年収は半減◆Vol.172015/12/17

――1981年に東北大学公衆衛生学教授に選考された久道氏。快諾したものの、その直後に迷い始めたという...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

東北大教授、助教授の経験なく就任◆Vol.162015/12/16

――1981年、東北大学の公衆衛生学教室の3代目の教授に就任する。助手、講師、助教授の経験がない久道...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

院内調査の外部委員は「医療の専門家」◆Vol.32015/12/15

――山本先生は、院内調査において、「専門的な知識を持つ人」の協力を仰ぐ必要性を指摘されました。また、...

シリーズ:始動する“医療事故調”スペシャル座談会

「要精検」のフィルム、若手ほど多く◆Vol.152015/12/15

――いくら検査技術が進歩しても、読影は医師が行う。その精度の分析や向上にも取り組んだ。検診の場合、一...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

早期がん、かえって長生き?◆Vol.142015/12/14

――生存率については、「胃がんに早期にかかった人は、それ以外の人と比べて10年後はかえって長生きする...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

医療事故調査は「症例検討」◆Vol.22015/12/13

――制度への現場の「戸惑い」、あるいは負担増といった指摘がありましたが、がん研有明病院で、医療安全を...

シリーズ:始動する“医療事故調”スペシャル座談会

「検診屋」の汚名返上、科学的評価を実施◆Vol.132015/12/13

――1970年代はまだ、日本には疫学的な手法について学んだ医師は少なく、久道氏も、がん検診の科学的評...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

医療安全の“ボール”は医療界に◆Vol.12015/12/12

この10月から、医療事故調査制度がスタートしたが、いまだその制度の解釈をめぐって、混乱が生じている。...

シリーズ:始動する“医療事故調”スペシャル座談会

弱冠33歳、がん検診センター所長に◆Vol.122015/12/12

――1968年から、宮城県がん検診センターの医員として勤務を始める。幾つか印象的なエピソードがあると...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

学位授与、「胃潰瘍」がテーマ◆Vol.112015/12/11

――米谷病院に「トランク」に行ってから、1年半くらいの後、公立気仙沼総合病院に移った。佐藤院長が、同...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

医師1年目、「トランク」生活の開始◆Vol.102015/12/10

――1年間のインターンを終え、1964年に医師免許を取得した。ただ、はやりインターンは中途半端。一通...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

トップが豆腐屋、お寿司屋が下位◆Vol.92015/12/9

――医学部の講義で印象に残っているのが、後に久道氏が入る公衆衛生学教室の教授だった、瀬木三雄氏の社会...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

東北大学医学部入学直後、「M検」で全裸に◆Vol.82015/12/8

――1957年4月、東北大学医学部に入学する。解剖実習で医師という職業の重みを知った(写真:伊藤有宏...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

東北大受験 不合格だったら呉服屋?◆Vol.72015/12/7

――医学部を目指すようになったのは、いつ頃からだったのだろうか。東北学院には、大学もあり、一定の成績...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

礼拝に飽き、「祈祷の時間」を有意差検定◆Vol.62015/12/6

――中高一貫である東北学院中学校に合格、1951年4月に入学した。片道2時間以上かかる通学を3年近く...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

「特塾」で私立中に合格、片道2時間の通学に◆Vol.52015/12/5

――小学校時代の思い出の一つが、ボーイスカウトだという。同級生の友達が入ったので、「入らないか」と誘...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

実家は「お菓子屋さん」、戦争の記憶も◆Vol.42015/12/4

――久道氏は、1939年1月3日、宮城県涌谷町で、菓子製造販売業「久道家」を営む家に、次男として生ま...

シリーズ:私の医歴書◆久道茂・東北大学名誉教授

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